特別支援学校に通う8歳の男の子に、母親が手をかけてしまうという出来事がありました。数日前、岡山でのことです。
私が第一報を聞いたときには、「殺人未遂の疑い」でしたが、その後男の子は亡くなり、容疑は殺人に切り替わりました。
このニュースを知ったのは、東京から山梨に帰る特急の車中でした。娘と同じ障碍をもつ親たちと作っているグループLINE上で、共有されたのでした。(容疑者となった)女性に会ったことがあるという人もいて、LINE上は、静かに、しかし騒然としました。
明るくてやさしい人だった。
容疑者をこう表現している人がいました。
ええ、そうでしょう。
私が知る限り、障碍をもつ子の親は、とくに母親は、みんな明るくて強いんです。
考えてみれば当たり前のことで、仕事をしながら、育てるのが難しい子供を育てている人ばかりですから、当然、強く、たくましくなっていくんです。強いことは哀しさなんです。どこかで自分の一部を麻痺させる力がないと、繊細すぎては暮していけないんです。
何も知らない人は、それを達観や器の大きさと呼んだりして、立派なお母さんとして、胸に努力賞のメダルをかけてくれるんです。
8歳。娘と同じ年齢です。
男の子ですから、体もどんどん大きくなって、力も強くなって、あきらかに幼児から脱皮して、いろんなことがそれまでとは変わってきたのかもしれません。
その日の朝、私は、大声で怒鳴ってしまっていました。娘は小さくてカチャカチャ音が鳴るものが好きなのですが、その朝にかぎって、私のピアスや指輪やらが入った箱をひっくり返して、床じゅうにばらまいて、ご機嫌で遊んでいました。
これから子供たちを学校に送って、それから東京まで出勤しなきゃいけないのに、なんで今それをするの!腹が立つやら、情けないやら……。
でも、怒ってもどうしようもないんです。いつも奥の部屋にしまってあるのに、その日は、東京に行くもんでおしゃれをしようと思って、テーブルに出しっぱなしにしていました。手が届かないところに隠しておかなかった私の、痛恨の段取りミス。娘にではなく、自分を怒鳴っているんです。
グループLINEのひとりが、このニュースに動揺し、
「辛いことがあったら、ここに書いてもいいですか」
と吐露しました。
いいよいいよ、そいういうガス抜きのためにこのLINEはあるんだから。そう思ったし、みんなもそう感じていたようで、積極的に意思表示や提案をしました。
私は、こういう場面で一番弱い部分(犬の柔らかいお腹のような)を、ぐるっと見せて、助けを求められる人を、すごいと思います。
私もそうありたいし、そうあらねばならないんです。岡山のお母さんのような人を生まないためにも。
今年度から、娘の特別支援学校の担任の先生が変わりました。
「大学を卒業して、特別支援学校一筋、障碍児教育一筋、定年して、再雇用で戻ってまいりました。お任せください!」
この先生の在り方が、膝から崩れ落ちそうになるほど、うれしかったです。任せていい根拠も、しっかり提示されている。
私も、誰かに「お任せください」。言えるようになりたいですね。せっかくメダルがあるんだから、生かさないと。
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