今日は原稿を一本納品しました。ある出版社の創立125周年を記念して作られた本に掲載される原稿で、字数は2500字。興味があるテーマだったから、気負わずに書けたのはいい。それでも、途中でああ、どうしようと困った点がひとつありました。
今取り組んでいる山梨の家のリノベーションについて触れなくては書き進められない内容だったのですが、どこまで詳細に書くかということについて、考えてしまいました。
なんだか、宝物を見て見て!と自慢しているようで、読者にそう思われてしまう言葉選びや話の展開は避けたいなと思ったのでした。いったん仕事をやめて泳ぎに行き、近くのお寺の食堂で精進定食を食べてから、考え直して、300字程度を書き換えました。
家の話をすることに神経を使ってしまうには理由があります。
自分がリノベーションというものに関わるようになってから、素敵なインテリアや暮らしが掲載された雑誌や本を買ったり借りたりして自習してきました。家のことばかり考えて、家の本ばかり読む渦のような時間に巻き込まれていると、どうしてだか、紹介されている家というのがどれもこれもペラッペラなものに見えてしまう時期がありました。
もちろんその家と住人の方はまったく悪くない。そうではなくて、なんとなく、編集の裏が分かってしまうのでした。雑誌を見ておしゃれな家を探し、その家をまた別の雑誌が取材する。それを見た別の編集者が、またその家を取材する…といった一連の取材対象のシェアみたいなものが透けて見えてしまうのです。
取材される側の人にも何人か会ったことがあります。ある方(ものすごく素敵な邸宅に住んでいる)は一時期自分のインテリアのパクりが雨後の筍並みに増え、うんざりしたというエピソードを教えてくれました。確かに、自分の真似をした付け焼き刃の量産品が、いかにも素敵な家として誌面を賑わせていたら、ちょっと気持ち悪いかもしれない。
そんな中でも、このキャプションは上手だなとか、撮りたいもの・作りたい誌面を明確にして写真が撮られているなあと感じると、雑誌ってやっぱりおもしろいなあとうれしい気持ちになります。『HERS』や『住む。』なんか、よく読みます。
上手だなと思うキャプション(写真に添えられる説明のこと)には、ライターが書きたいことではなく、読者である私が知りたいことが書かれていて、一文字たりとも読み飛ばせない。インテリア特集を読む人がどんな情報を知りたいと思っているか、編集部内でちゃんと打ち合わせをされているのでしょう
これが、「有名デザイナーの名前+椅子のモデル名」だけのキャプションだったりすると、ふんっ、つまんないの、と思います。だから、冒頭で言ったように、文字の提供の仕方にはよくよく気をつけなくてはと思ったのでした。
「骨董屋の放出品を5000円で買ったら、あとで知ったんですけど、有名デザイナーの椅子らしいです…ええ…」みたいな話が、最近読んだ雑誌にありました。同じ有名家具の話でも、こういうのはおもしろい。
「元ヒッピーから買い占めた素敵な石を棚じゅうに飾る」家というのも、昨日読んだ雑誌に見つけました。大量の石を室内に飾りたい人の気持ちに、思いを馳せてみたりして。石はいい。持ち主より長く生きます。
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