私のエッセイ「木陰の贈り物」が中学受験の国語で取り上げられ、しかも私には解けない問題があったことをきかっけに、いろんなことを思い出しました。
正確には、解けないというよりは、なんと答えてよいか分からなかったのです。
そもそもエッセイは、自分でもうまく説明できない、ままならない思いだからこそ言葉にしていくものだと思います。書いている本人は、本が出たあとも、はたしてこの表現で言いたいことが伝わっているのだろうかと考えるし、いつまで経っても自信がありません。ただ、○月△日現在の自分にとってはこれがベストであるという表現を、印刷して遺した、という感じなのです。
それを試験によって「たったひとつの正解」の枠にはめていくということは、「書いた人」と「解く人」は全く異なる道を歩んでいるように思います。
しかし、だからといってこうした国語の試験に疑問を感じるかというと、まったくそんなことはありません。
むしろ、初めて読む文章の語彙、文脈、文と文とのつながり、構造……机の上に並べられたあらゆる材料を出がかりにして、一篇の中から貴石を見つけだそうとする行為で、読解力が問われるし、冒険に満ちているとも思います。実際に問題を解いてみて、そう発見しました。
世の中に送り出されてしまえば、本は読者のものです。
私の文章を選んでくれた方は、これはちょっと考えたくなる要素が散りばめられている文章だなと足を止めてくださったはずです。まず出題者(選者)のこうした心の動きがあったのでしょう。そして、生徒にも知らせたいと思ってくださった。そのことがうれしかったです。
試験と聞いて、忘れられない問題があります。高校生の頃。科目は国語、出典は夏目漱石の『こころ』でした。
Kが遺書のなかに書いた、こんな一節があります。
もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろう
問:もっと早くとは、いつのことを指すのか。
この問題に、私は不正解しました。あとで正解を見て、確かにそうだな、「あのとき」が物語の大きな転換点だったのにどうして気が付かなかったのかなと、悔しい気持ちになりました。
しかしこうも思います。
漱石は全然違ったことを考えていたかもしれないよ。もしくは、そこんところは大して何も考えていなくて、筆がざーっと走っただけかもしれないよ。とも。
こんな問題もありました。
またまた漱石。作品は『夢十夜』から「第一夜」が取り上げられていました。
問:この話の主題はなにか?
みなさんはなんと答えるでしょうか。
私の答えは「永遠の愛はあるのか?」でした。
三十年近くも前のことなのに、今でも覚えています(さっきゆっくり読んでみたところ、え!その答え、違うんじゃ……ないかな…と撤回したい気もします)。
受験といえば。最近読んだ『母という呪縛 娘という牢獄』では、9年にわたる医学部浪人生活の末に、そして、精神的・肉体的な虐待を受け続けた末に、娘が母を殺してしまった実際の事件のことが綴られていました。
実際に交わされたLINEやメールも公開されており、胸が痛くなり、何度か読むのをやめたいと思いました。でも、最後まで見届けなくてはという連帯感のようなものも生まれてしまって、なんとか読み終えました。
読後数日は、娘のほうに感情移入してしまい、受験に失敗して人生に絶望する夢を見てしまったほどでした。
お母さんのほうにも、同情を感じました。完全な善人の立場から、お母さんに石を投げることができる人などいるでしょうか。
いっぽうで、父親の圧倒的な不在。拍子抜けするほどの存在の軽さ。そこは、ページ数が足りなかったのか、取材が不足していたのかは、わかりません。
週末に子供と訪れた茶道教室では、梅の花を両手に抱えた菅原道真を描いた「渡唐天神図」がかかっていました。
頭脳明晰で人望も厚かった道真ですが、謀反を企てたという無実の罪で太宰府へ流され、そのまま没しました。
受験の神様にあやかった人も、そうでない人も。東風吹かば、春はもうすぐです。
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