移住してから二か月が経ち、幸福度がとても上がったことを実感しています。
その鍵を握っているのは、能動的な孤独ではないかと思います。この言葉が指すものについては後半に書きます。
移住して良かった点として、まず、自然環境の素晴らしさがあります。
引っ越してきたばかりの2月には、白と黒の険しい線画だった山々が、春になると色彩数を増し、透けた層が幾重にも連なります。富士山だけが特別なのではない。見渡すかぎり四方の山々を、いつ見ても綺麗だなぁと思いながら、暮らしています。
朝東京に出勤してから、夜最寄り駅に戻ってきて空を見上げると、今にも降ってきそうな星の大きさと輝きに、視野が洗われるような気がします。
梅が見頃を迎えたと思えば、桜が続き、散っていく桜と入れ替わりに、桃の花がこれでもかこれでもかと目の前にひらけます。水仙、山吹、ハナミズキなど、野にこぼれる花にも魅了されます。
地面にしゃがめば、山菜の芽が顔を出し、季節が確実に巡ることに打たれます。昨日まで小さかった草花が、今日はしっかり伸びている。雑草の暴力的な生命力も、そのひとつですが。食べられるものを探して野を歩く楽しさも、知りました。
ただ、こんな風に、たくさんの自然を数え上げること自体が恩恵なのではないと思うんです。もう一歩進んで、人知を超えた存在(=自然)に畏敬の念を抱くこと。このことが、人の内面を照らすギフトなのだと思います。
もちろん都会でも自然への畏敬を抱きながら暮らすことはできます。でも、ここでは、その密度がより濃いのです。それはたとえば、子供たちの学校が大雪のため休校になり、家に閉じ込められるという不自由さと一体です。騒いだってどうすることもできません。いったんは服従するしかないのです。
だからこそ、春がこんなにうれしい。
と、ここまで書いてきて、地方移住を手放しで礼賛するつもりもありません。
土地・不動産の価格は地方のほうが圧倒的に安いですが、普段の物価の観点では、地方の方が高いと感じます。 ガソリンもガスも、地方は高いですね。食材も、また、それを使用する飲食店も、東京より割高に感じます。誤解のないように言うと、東京には、うんと安いものもあるけれど、うんと高いものもある。そしてその間のゾーンに位置するものも、多種多様にあります。
比較対象はまだあります。東京に住んでいた頃、私、月に2万円も払ってスポーツクラブのプールに通っていたんです。どのレーンも混んでいて、しょっちゅう脇腹を蹴って蹴られて、遠慮しながら泳いでいました。
ここでは、温泉とプールがセットで350円です。ひとつのコースを独占して泳げます。歩いて行ける距離にあるこのふたつが、幸福度をかなり押し上げています。
外食という観点から言えば、東京なら、1500円あればとてもおいしくて充実したランチをいくつも探すことができます。
東京から離れると、賃料が安く、競争もなく、他に行くところもないしという惰性で「いつもの人」が来てくれるから、経営は成り立つでしょう。そのような環境では、もっと良い店にしようと磨きあげる心は生まれにくいのではないかと思います。
だからというわけではないのですが、山梨に越してきてから、平日に外食したことが一度もありません。車ありきの暮らしなので、好きな店にふらっと入って一杯飲むという、東京では当たり前だったことをしなくなりました。代行を頼んでまで飲みに行きたいとも思いません。
それがストレスかというと、そんなこともないです。普段の食事に少し工夫をして、自分なりに山梨のワインや日本酒に合うようにととのえた食卓が、とても気に入っています。(繰り返します、自炊の割に食費は高いです!)
余談ですが、全国展開のチェーン店がいかに手ごろな価格で「いつもの安心感」を提供しているのかも、よく分かります。
外食は、もう、断然、東京です。仕事や打ち合わせで週に何度か東京に行く時に、好きな人と、またはひとりで、好きな店に行くのを楽しみにしています。
こうして書くと、自然や物価や移動手段をめぐる二項対立で東京と地方をとらえて終わりになってしまう。それはつまらないし、本当じゃないし、二項対立では定義できないたくさんのグレーゾーンに、生活の面白さがあると感じます。
じつは、移住を薦める趣旨の、大なり小なりのメディアのことを、たまにですが、今でもうっとおしく感じることがあります。これは、もちろん、移住した人(素材)が悪いのではなく、弾力性のない編集方針(調理法)がまずいのです。
人は自分が選んだ道を正解にしたいものです。それは共感しますが、移住関連の記事を読むと、結論がまず先にあり、その型に取材対象者の人生をはめこんだテキストに押し付けがましさを感じることがあります。だから私は、移住最高!と旗を振ることはしたくないし、事実、最高とは思いません。最高を選ぶには、まだ早い。
私がここ2か月で感じていたことは、孤独の充実についてなんです。
もともとひとりで行動するのが好きで、海外旅行も、ちょっと絵を見に行くとか映画に行くとかそういうものも、ひとりです。誰かに自分の一部始終を託して人生相談するということも、ほとんどないです。友達とは、半年に一度じっくり話せれば、かなり幸せです。
学生時代の同級生のA子氏は、結婚式のスピーチで私のことを「群れない、媚びないを徹底している人」と表現していました。だから、10代の頃からそうだったんだろうと思います(意図して徹底していたわけではないけれど)。
こういう性質をベースにして、この移住の話を書いています。
私のいう孤独というのは、声をかければいつでも大好きな友人とコンタクトが取れるという前提があります。ただ、それだと、「孤独どころか、友達多いじゃん!」と思う人もいるかもしれないので、「一番の親友は自分自身だと思って行動している人」だと捉えてもらえるといいと思います。
そう考えると、孤独というのは、結婚していようがいまいが、子どもがいようがいまいが、どんな仕事をしていようが、関係ないことですよね。
ひとりで過ごす時間の何が良いかというと、自分は何をしている時が一番楽しくて、これからなにをしたいのか(しなければならいと感じているか)、そのためにはなにを始めたら(辞めたら)いいかということに集中できることだと思います。
先日、箱根のポーラ美術館に絵を見に行きました。子どもたちを学校に送ってから、2時間運転して、2時間見て、14:00に家に戻って仕事をしました。
ポーラ美術館で、坂本繁二郎という画家の絵を初めて見ました。彼は80歳を超えてから「月」を描き始めた人です。視力が衰えた彼を魅了したのが、どこにいても観察することができ、すでに心の中にしっかり存在していて、かつ、飽きることがない姿を見せる「月」だったのです。作品、素晴らしかったです。
そんな彼が遺したのが、「雲があってこそ、月は生きる」という言葉でした。
このエピソードを読んだとき、こともあろうか、私は、「黄身は白身があってこそだな」と思ってしまって、次の料理の試作に生かせそうだぞと考えると、たのしくてたまらなくなってしまいました。
そして、卵でなくて、花なら。器と料理なら。ファッションなら。男と女なら。月と雲はそれぞれ何と何にあたるのだろうと考えると、すぐにメモを取りたくなって、ベンチに座って対照表を書きはじめました。もし隣に友達がいたら、こんなこと、多分できなかった。ひとりで動いて、考えていたいのは、こういう理由からです。
それから、こんなこともありました。
ある会社から執筆の仕事の依頼をもらったのですが、その企画書を見て私が考えたことは、
「困ったなあ、ヒバの剪定もしたいし、朝顔も植えたいし」
でした。
仕事を断る理由が、ギャラでも、仕事の内容でもなく、植物のため。
ここで暮らすということはそういうことなんです。自分が手をかけなければ、ヒバが育ちすぎてしまう。それは、不快です。朝顔を今植えなければ、夏に花を見ることはできません。それでは、自分の生活ではなくなってしまうんです。
手綱を人に渡さないという感覚が、東京にいた頃に比べて、より強くなっていると感じます。それが良いとか悪いではなく、当然だと思えるんです。まだ冬の終わりと春の始まりしか経験していないのに、感受性の窓口が本当に忙しいんです。そのことに、驚いています。
これから山梨では、登山や渓流釣りのシーズンがやってきます。
ひとりで出かけたいのですが、相手は自然です。何かあると危ないので、ツアーに参加するか、ガイドを頼んで行こうと思っています。
孤独の安全を担保するために、人の力を借りるわけです。ひとりで過ごせる自由を、大切に、守りたいんです。
一番の親友は自分であるという感覚が、より強くなっている。それを、能動的な孤独と、この日記の冒頭で書きました。
思えば、移住したことを一番実感する時間は、新宿行きの特急電車に乗っているときかもしれません。どこにも属さないで、ただ揺られて、運ばれている。この移動の瞬間こそが、移住の本質なのではと思うことがあります。
まだ考えがまとまらなくてうまく書けませんが、常に移ろっているという、そのぐちゃぐちゃを受け入れて面白がっていることが、大事なんじゃないかと、今のところは、思っています。
東京と山梨をうろうろしている人でいいし、山独活を摘んだその靴を川の水でちゃっちゃと洗って、ジル・サンダーにも買い物に行きます。
「それって今流行りの二拠点生活ですね」
メディアの側にいる人には、こうまとめられてしまうかもしれませんが!
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