top of page

仮住まいと、蠢(うごめ)く。

 今週、仮住まいに初めて来客がありました。娘の髪を切ってくれる、福祉美容師の方です。引っ越しの段ボールがまだ転がっているような家ですが、少しはきれいにしようと思い立ち、古民家の庭で摘んできた水仙を活けました。

 すると、家の顔がかなりさっぱりして、引っ越してきてからの2か月を反省しました。


 というのは、この仮住まいが、(立地以外は)なにからなにまで私には気に入らなかったのでした。狭くて古くて、なにより、テキトーに作られた物件という感じが、嫌でした。子どもの学区などを考えると、妥協せざるをえなかった。

 洗面台はあきらかにサイズがおかしくて、洗顔のたびに床がビシャビシャになるし、家じゅうの妙なところに凸が多くて、セーターの毛糸がひっかかったり、足の小指をぶつけたり。

 お風呂には石けんひとつ置く場所もなく、1,2回使用した以外は寄り付かなくなって、温泉ばかり行くようになりました。賃貸だから、壁に穴をあけて好きな場所に絵を飾ることもできない。そもそも、絵のための余白もありません。


 こうして、たくさんの不満を抱えながら、どうせここは私の家じゃないしという気持ちで、この仮住まいをなるべく見ないようにして、私はこの2か月を過ごしていました。

 でも、お客さんのために花を飾って、30分間必死に片付けたら、なかなかいい家になりました。

 こんな家じゃあ季節の行事もできやしないと思ってきたけれど、せめて、古民家の庭の花を、まめに飾ろうと思っています。

 

 花の季節です。

 毎週末古民家に行くたびに、がらっと姿が変わっていることに驚きます。一週間前には芽吹いていなかった芽が、土を破って顔を出し、開いていなかった花が咲き、咲いていた花は風に散って、地面を埋め尽くしています。春というのは本当に勢いがあって、嵐のようだなと実感します。「蠢く」という漢字の、毛穴の奥から皮膚を突くようなぞわぞわした感じが、分かるような気がします。

 今の季節、よく、アレな人が野にも街にも出没しますよね。摂理なのかもしれないですね、あのモゾモゾは。


 東京では見なかった景色としては、桃の花の美しさが挙げられます。

 桜の花が、ぼわっと浮かんではかなげな淡桃色だとしたら、桃のそれは、枝にしっかり根付いて、造花に見えるほどの強さというか、くっきりとした輪郭が空に映えています。数カ月後には、甘い実がなります。

 都会では、花と実は分離されています。命を絶たれた花と、運搬されてプラスチックに包まれた実が、商業施設や売り場を美しく飾っています。花と実がひと続きの生であることを、これまで私は、意識しないで過ごしてきました。


 まだその枝にはなにもつけていないぶどうの木も、内部ではなにかが蠢いています。ご近所の農家のかたも、朝早くから忙しく作業をしていらっしゃる。これから四季を通じてその成長が見られることが楽しみです。


 古民家のリノベほうは、大工さんが足りないということで、工務店の選定をやり直したりして、着工が遅れています。木材や鉄などの価格も高騰しているし、人手は足りないし、家造りには逆風ばかりですが、こういうことは、急いてどうなることでもありません。

 仮住まいとの付き合い、もう少し長くなりそうです。この家で、春(完成)を待ちます。



<< 前へ      



最新記事

すべて表示

東風吹かば

私のエッセイ「木陰の贈り物」が中学受験の国語で取り上げられ、しかも私には解けない問題があったことをきかっけに、いろんなことを思い出しました。 正確には、解けないというよりは、なんと答えてよいか分からなかったのです。 そもそもエッセイは、自分でもうまく説明できない、ままならな...

編集長の採点簿

太田和彦さんといえば、私のような左党にとっては居酒屋文学の代表のような存在です。東京の街を遊びまわる際には、ご著書を参考にしてきました。 その太田さんがめちゃくちゃおもしろそうな翻訳本『食農倫理学の長い旅』を出されたというので、しかもそれが400ページを超える大作と知り、な...

家自慢

今日は原稿を一本納品しました。ある出版社の創立125周年を記念して作られた本に掲載される原稿で、字数は2500字。興味があるテーマだったから、気負わずに書けたのはいい。それでも、途中でああ、どうしようと困った点がひとつありました。...

Comments


bottom of page