働くお母さんをターゲットにした雑誌をほとんど読まないのですが、24時間の円グラフに、お母さんの1日を図示したような特集って、今でもあるのでしょうか? 睡眠時間が4時間とか、朝5時に出勤とか、働きまくりの超人マザーに対し、お父さんは一体どこで何をしているの?と突っ込みたくなる、あの手の特集。
5年ほど前、一冊目の本『わたしのごちそう365』を出したばかりの頃、ある出版社から、リアルなワーママの生活ぶりを特集したいので、出てもらえないだろうかと依頼がありました。
つきましては、24時間の円グラフを作りたく、1日の時間割を教えてくださいとお願いされた私は、たまに友達と飲みに行く夜があることや、休日出勤や夜の時間帯の撮影もこなしていること、それから、東京の街をひとりでぶらつく空白の時間があることを説明し、それもこれも、シッターさんという存在あってのことだと、まさに、先方が望んでいる(と当時は思っていた)リアルなところを率直にお話したのでした。
ところが、編集部からの回答は「NG」。
シッターを利用するなんて、経済力にものを言わせた暮らしぶりは、読者の不興を買うので、採用できませんと言われたのでした。
結局、私の話の内容うんぬんとは違う理由で、その特集自体はお蔵入りになってしまいましたが。
編集者がイメージする「ワーママのリアル」の、なんと想像力に貧しく、悲観的なこと。
取材対象者の生活を、その乏しい想像力の型を優先するがために矮小化させて、いったい誰のために、どんな理由で雑誌を作っているんだろう? なぜ、母は辛いという呪いをかけて、未来の暗いほう、暗いほうを指し示そうとするのだろう。
当時は私も出版社で働く編集者だったから、この件は特によく覚えています。
私には、長くお願いしてきた2人のシッターさんがいます。ひとりは、ヨーコさん。2016年〜2017年の約一年半、お世話になりました。その後半年ほどあき、ふたりめ、レイコさんが登場。現在も、レイコさんにお願いしています。
シッターという、一緒に子育てをしてくれる存在を見つけることについては、たくさんの試行錯誤をしてきたと思います。誰かの役に立てばと思い、シェアします。
今日は、レイコさんの話をします。
レイコさんと出会う前は、いくつか痛い目にもあいました。
たとえば。ある起業家が、ベビーシッター事業に乗り出したときのこと。
そのサービスは、シッターを求める人と、シッターとして働きたい人がLINE(のようなシステム)でやりとりをすることができるという、気軽なコミュニケーションを売りにしていました。登録が簡単だったこともあり、私も利用してみることにしました。
しかし、何人かと面接を重ねるうちに、おや?っと思うことが増えてきました。
LINE(のようなシステム)でやりとりをして、面接のためにうちに来てもらうわけですが、その1時間の面談にも時給を払わなくてはなりません。そうして面談をして、では、いちどお願いしてみようかという段になると、先方からブロックされてしまう。また別の人にも、のらりくらりと埒のあかないコミュニケーションのあと、ブロックされてしまう。
事務局に問い合わせても、「本人の意志に任せているので、事務局は介入できない」の一点張り。お金と時間だけが飛んでいきました。
そのうち気がついたのは、つまり、1時間のバイト代と交通費欲しさのために、面談に来るんですね。今日はあっちの家、明日はこっちの家へと、困っている家庭を渡り歩いて訪問しては、さも働く気があるように受け答えをし、時給をいただいたら、ドロン。こういうコミュニケーションにほとほと疲れ果て、その会社への登録は削除してしまいました。
それでも、生活は続きます。
どうにかしていい人を見つけたいと思った私は、幼児を対象にしている会社ではなく、「弱い人」のケアを対象にしている会社へ、範囲を広げてみることにしました。
たとえば、お年寄りのケアをしている人であれば、うちの子供たちのケアもお願いできるのではないかと考えたのです。
この方向転換はうまくいきました。
「介護」や「家政婦紹介」というキーワードで検索したいくつかの紹介会社の中から、ある企業を選び、そこから紹介されてやってきたのがレイコさんでした。
私がレイコさんにピンときた一番のポイントは、面接の際に「私はシングルマザーなので、どうしてもお金が必要なんです。だから頑張って働きます」と言ってくれたことでした。子供が好きだとか、赤ちゃんってかわいいとか、そんなことは、ひと言も言わなかった。それに、子どもがかわいいなんて、言うまでもないことでしょう。
LINE(のようなシステム)を売りにしていた会社からやってきたなんちゃってシッターたちは、みな口を揃えて、志望動機を「子どもが好きだから」と言ったことも、記憶に新しかった。だからこそレイコさんには絵空事を言わないひとだという第一印象を抱いて、仕事をお願いしてみることにしました。今から約5年前のことです。動機がある人って、やっぱり強いです。
それに、レイコさんは、うちに重度の障がい児がいることも、ほどんど気にしていない様子でした。
「かわいいですね」と言って、前からよく知っている子のように、娘をあやして静かに遊びはじめました。
そういうときの、シッターさんの目線やちょっとした言葉を、親は当然、よく見ています。本能的に、うさんくさくないか。これをよく見て、感じようとしています。
私の娘は、「できないこと」が多いです。
そしてそれらは、私が、うんとおばあちゃんになったら、同じく、できないことです。娘の場合は、それが生まれつきというか、早くやってきた。順番が違うだけなんです。
レイコさんが娘を見ても動揺しなかったのは、介護の仕事もしているからかもしれません。
それから、忘れられないこんなこともありました。
レイコさんが所属している会社が、レイコさんの前に紹介してくれたのが、80代の女性でした。しかも彼女は、うちから電車で一時間半の場所に住んでいらした。
事前に経歴書を拝見した段階で、「80代は、ないな」と、正直、思いました。
でも、その方は、うちの家庭状況を知ったうえで、「お役に立てそうだから、ぜひ働かせてください」と言ってくださった。見ず知らずの私たちに、なぜ? 不思議ですよね。
夫と話しあった結果、80歳・遠方在住というデータだけを見て、門前払いするようなことはやめて、お会いしてみることにしました。
それに、本人にはどうしようもないこと(ここでは年齢)を理由に「却下」していくような風潮は、まさに、私が当事者として直面している問題でもあったのです。
労働力市場のなかで私にラベルをつけるとすれば、「重度障がい児あり・40代・女性」になるでしょう。私自身がこのデータによって、行きたい世界へのドアが閉ざされてしまうとしたら……すごく辛いです。
それと同じ行為を、少なくとも、私は、他のひとに対してしたくないと思ったのでした。
実際にお会いしてみると、うんと若く見えて、非常にエネルギッシュな方でした。
パートナーの両親を看取り、パートナーを看取ったという彼女は、威厳と自信があって、堂々としていました。
結局、子供が熱を出したときに、かけつけるまでに一時間半もかかっては…という一点がネックになり、お願いはしませんでしたが、お話しできて本当に良かったと思いました。歳を重ねても、自分の能力を困っている人のために使おうという気力と体力があることに、打たれました。
レイコさんの話に戻ります。
私がレイコさんに払ってきた額は、(当時働いていた出版社の)手取りの5%ほどでした。
育児のアウトソーシングに財布からいくら出せるかを、夫と話しあったとき、「せーの」で提示した金額がほぼ同じでした。
ふたりの希望額を合わせた額を基本に、仕事の繁忙期や夫が海外出張に出ている月は、家に来てもらう回数を増やして、多くお支払いすることもありました。
私は3年前に出版社を辞めてしまいましたが、レイコさんがいなければ、障がいのある娘を育てながら、「小1の壁」に打ち返されず、こうして好きなことを仕事にして、生きていくのにじゅうぶんな収入を得られる人生にはならなかった。いろんなことを体験して、たくさんの人に会い、本を書くようにもならなかった。断言できます。
うちで働き始めてずいぶん経ってから、ある日レイコさんが、ぽつりと言いました。
「スズキさんって料理上手ですよね」
私、「 急にどうしたんですか?」
「いつも献立がすごい勉強になるなあと思って、私、じつは写真に撮ってるんです。すみません」
仕事などで不在のとき、私は子どもたちの食事をそれぞれお膳に用意して出かけるんです。メニューによっては、レイコさんのぶんも準備しておくことがあります。
レイコさんは私がどんな仕事をしているか知りません。そもそもが寡黙なひとなので、自分から話題をふってくることもほとんどないし、私や夫について詮索めいたことをすることも一切ない(彼女のそういうところも好き)。だから、写真を撮っていたという告白には、びっくりしました
もうひとつの「きょうの140字ごはん」が、数年分、彼女のスマホには収まっている。そう考えると、なんだか不思議な気持ちになります。
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