レイモンド・カーヴァーのこと

 1月11日から16日まで、森岡書店で拙著『土を編む日々』の個展を開催しました。足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました。

 東京でこんなにたくさんの初めましての方にゆっくりお会いできる機会は、今しかないだろうと思い、在廊時間を多く取りました。開催できて本当によかったと思います。


 個展に来てくれたある学生さんから、スズキさんが文章を書くきっかけになった作家はいますか? と聞かれました。

 あまり聞かれたことがない質問ですが、私の答えは決まっていて、それはレイモンド・カーヴァーだと即答しました。人に話したことはないけれど、ずっと熱く思っていたことが、学生さんによって引き出されたという感じでした。


 二十代半ば、編集者だった頃、三鷹の古書店でふと手に取った本がありました。

 カーヴァーの短編集『大聖堂』。スペシャルエディションらしきボックス付きで、訳者である村上春樹とカーヴァーのサインが入っていました。

 これは買うべき本だという予感のようなものがあり、購入して帰ったのが、カーヴァーとの出会いでした。


 カーヴァーの作品のなかで、とくに好きなのは、短編集のタイトルにもなっている『大聖堂』です。読み終えたあと、打ちのめされて、しばらく動けなかった。

 物語の中の人物に血が通っていて、生きている。しかも、ほんの少しの言葉で、表現されている。なんなの、これ、すごい、すごいすごい、と思いました。言葉を「ものにしている」ことに、強烈に憧れました。


 もしカーヴァーが生きていて、日本でサイン会を開いたら。

「私はあなたに憧れて本を書くようになりました」

と伝えたかった。

 それは、「ファンです」と言うより、一歩踏み込んだ大きな意味を持つことです。

 なぜなら、誰かの人生の選択に影響を与えることは、どんなに有名な人であっても、そう何度も経験することではないから。

 カーヴァーと私では格がまったく違いますが、自分の名前で本を書いている点では、対等なのです。だから、私はきっと、堂々と上のセリフを伝えただろうと思います。

 新刊が出ると必ず買う、同じ時代を生きている作家もたくさんいます。でも、「会いたかった」と夢にまでみる作家は、私にはカーヴァーだけです。亡くなっているから、余計に、そう思うのかもしれない。


 登場人物の誰もが、自分の人生を生きているリアリティ。それらの人間が出会うことで生まれる、波紋。これみよがしの仕掛けも展開もなく、淡々と綴られていく生活。読後の余韻の長さ。

 それらは、小説という形をとってはいますが、エッセイとも非常に通じるものがあるように思います。



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