御舟の牡丹

 山種美術館へ速水御舟(はやみ・ぎょしゅう)の絵を観に行ってきました。

 この美術館の創業者である故・山崎種二は、画家から直接絵を買い、彼らを(生きているうちから)経済的にサポートしていました。しかし御舟だけは別で、生きている間には残念ながら縁がなく、御舟の死後、彼の絵を大量に購入しています。山種といえば御舟。十八番の展覧会と言っていいと思います。


 私が御舟の絵と出会ったのは、十年ほど前でした。百貨店の骨董市でたまたま見つけたデッサンを気に入り、店主の方に話を聞くうちに、それが速水御舟という画家の素描であることを知りました。

 当時の私は日本画の知識がほとんどなく、落款を見ても「オフネ...?」と読み方すら分からないレベル。でも「嫌味がなくて、おおらかな絵だな」と、ひと目で好きになった感覚はよく覚えています。

 結局、骨董市では思い切って鴨と鯉の二点の素描を買い、額装して今も大切に飾っています。


 その後、友人の紹介で、ひょんなことから現在の館長の妙子さんと知り合い、妙子さんが御舟を学ばれていたことを知ります。妙子さんの目を通して語られる御舟の魅力に、ますます御舟が好きになりました。

 御舟は40歳で夭折していますから、今回は、私が御舟の年齢を追い越してはじめて見た展覧会ということになります。


 一枚目の展示は、「墨牡丹」でした。

 黒い牡丹。それだけで、見る側を裏切る絵です。

 美の象徴として、多くの画家が牡丹を描いてきましたが、御舟が死の直前に選んだのは、墨でした。墨の濃淡だけで、たっぷりした花弁を表現しています。そして、墨の世界にただひとつ、金で描かれた花芯に、命が凝縮されています。

 超絶技巧を突き詰めたのち、シンプルを極めていった末に完成させたのが、この絵でした。墨の香りにふわっと包まれるような錯覚があり、まだ塗りたてであるような、そんな気さえしました。

 絵の隣には、この絵がどんな顔料や技術によって描かれたものなのかについての解説があり、種明かしをおもしろく読みました。優れた絵描きというのは、画材や技法の探求者なのだと、あらためて感じます。

 御舟は、その短い生涯の中でも、画法を大きく変化させながら作画を続けた画家でした。高い評価を得ても、そこに安住しないで、次の道を探っていく。いったん梯子を降りて、また別の梯子を上り始める。〈桃花〉や〈春昼〉など、こちらの頬まで陽光に照らせれるような温かな絵を描く御舟が、その精神に秘めていた不屈とバイタリティを思うとき、絵そのもの以上に、語りかけてくるたくさんのメッセージがあります。


 めちゃくちゃ上手い。でも、これみよがしではない。緻密で、おおらか。

 これは、御舟の絵を見るたびに思うことです。私自身が愛らしい動物の素描を購入していることもあり、絵の中に登場する兎や鳩など、小さな生き物への眼差しの優しさにも惹かれます。


 展示の中でも、重要文化財の〈炎舞〉の部屋は、一番の混雑でした。御舟自身も「同じものは二度と描けない」と語った名作です。私はただただ、この絵の技術の素晴らしさと構図の美しさに、耳の後ろがゾゾゾとします。正直、この絵が怖い(笑)。気高すぎて、圧倒されてしまいます。何日にも何日も炎を見続けていた御舟は、どんな目をしていたのだろうと考えます。まだまだ描き足りない。そう思っていたのではないでしょうか。御舟の生涯の中に、この絵があることの意味は、どうか展覧会で感じていただければと思います。


 訪れるたびに、御舟の違う一面に気がついてハッとしますが、今回はこのひと言に足を止めました。

「絵は、芳(かぐわ)しくなくてはならない」


 芳しい。香ってくるような静謐な美しさ。鍛錬に鍛錬を積んで、御舟が見つけた境地に、ぴしゃっと頬を打たれました。

 料理も書くものも、そうでありたいと、美の探求者・御舟の言葉に思います。



山種美術館 開館55周年特別

速水御舟と吉田義彦〜師弟による超絶技巧の競演〜

(2021年11月7日まで)



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