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体は語る

 日常の一部が、戻ってきました。

 例えばホームで電車を待ったり、その電車に乗って25分移動したり、打ち合わせの相手を喫茶店で待ったり、いったん相手に時間をあけ渡すようなことが増えてきたと感じます。

 待たせるのも待つのも嫌いだったことを思い出しもしたけれど、もうひとつ、大切なことにも気がつきました。

 本です。

 待っている時間に本を読むということを、久しぶりに思い出しています。


 そのへんのベンチやカフェに座って、本を開きます。日光の照りかえしを受けながら読むとき、本はレフ板になります。顔が熱い。あちいあちいと思いながらも、ページをめくる指が止まらない。そんな本に出会えるから読書は楽しいです。

 ページをめくったり、戻ったり、文字列を視線で追ったり、読みやすい姿勢を探して脚を組みかえたり。なんで単行本を二冊も持ってきたんだろう、重いなあ、文庫にすれば良かったと、肩に食い込んだバッグをうらめしく思ったりもします。

 読むという行為は、思いのほか体の動きと連携しています。頭だけで読むものではない。

 こういうことって、家から出て身を外に置いてみなければ、案外分からないことです。


 体の動きといえばもうひとつ。

 先週、久々に近所のバーへ一杯飲みに行きました。そのお店は、あらかじめ電話をしておくと、たとえそれが五分前であっても、十円玉を紙で丁寧にくるんで「スズキ様」の予約プレートの脇に置いておいてくれます。電話代兼、手間賃というわけです。

 その十円玉を手に取ると、ちょうどその横に盲導犬のための募金箱が置いてあって、自ずとチャリン、募金することになります。こういうとき、募金箱をスルーして財布に硬貨をしまえる人なんているのでしょうか? 物が行為を導いてくれます。なぜ募金するのか。募金箱がそこにあったから──そんな感じです。今まで何度もそのお店を訪れているけれど、改めて募金への導線と自分の手の動きを面白く見ました。

 そのバーでは、帰り際に店主の女性がカンカンと切火をして送り出してくれます。石を打つ手と、そのときの表情のなんと凛々しく美しいこと。久しぶりに身震いして帰ってきたのでした。


 自粛期間中の子どもとの暮らしにも、体の動きの発見がありました。

 小さな子どもは、しょっちゅう何かを描いていて、そのたびに「見てー!」と100回母親を呼びます。

 以前友人が遊びに来たとき、小さなひとの絵を見て、

「これはなにかな? りんごかな? ぶどうかな?」

 と質問をしました。小さなひとは、ちょっと悩んで、「りんご!」と元気に答えました。

 すると友人は、

「そっか、りんごは赤だよ、紫じゃないよ」

 こう突っ込みました。正しいりんご像を教えてくれたのだろう。

 そのとき私はなんだかモヤモヤするものを感じたのだけれど、その答えのようなものが、自粛期間中に分かりました。

 子どもはけっしてりんごを描いているわけではないんです。大きく丸く手を動かして、そのときにたまたまクレヨンを持っていて、その先端を紙に着地させて軌跡を残しているだけなんです。何かを描いているわけではなく、体を動かして遊んでいるだけ。体が自分の司令通りに動くのが面白くてたまらないんです。子どもの目の動きと指先を見ていると分かります。

 だから、子どもが「見て見てー!」とやってきたとき、私はこんな風に言います。

「赤い大きな丸が描けたね!」

「太い線がまっすぐ伸びてるね!」

「小さな丸がたくさん並んでるね!」

 見たまんまを言って、ただ感嘆します。

 そういうときの子どもは、すごく満足そうな顔をしています。


 外に出たら自分の体の動きに敏感になったということは、やはりひとの目というものを意識するからかもしれません。



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