top of page

肉屋、魚屋

 家からのすぐの場所に、魚屋、肉屋、豆腐屋、八百屋が並んでいます。この街に引っ越そうと決めたきっかけになった並びです。

 通いはじめたころは、肉屋で肉を買うことになかなか慣れなかったけれど、今ではスーパーで買うほうがむしろ煩わしいと思ってしまいます。

 例えばスーパーではこんなシーンがよくあります。合い挽き肉が300gほしいのに、139gと203gのパックしか残っていなかったりして、結局ふたつ買う羽目になります。


 これが肉屋なら、「合い挽き300ください」で済みます。

 しかも、赤身の部分と、脂の多いところと、150ずつにしてくださいと言えば、その場で挽いてくれたりもします(私はいつもこの方法です)。

 挽きたての挽き肉は、挽かれてから時間が経った肉とは全然違います。長時間経ってしまった挽き肉は、味も鮮度も、複数回死んでいるようなものです。一番は、かたまり肉を買ってきて薄切りして、牛刀でさらに細かく叩いて挽き肉にする。これがベストです。


 この週末いつものように肉屋さんに行ったら、先客がいました。距離をとって私は後ろに並びました。この女性を見て私が驚いたのは、店員さんに疑問形で注文することです。

「豚の…えっと…ロース? を200…?」

 自分がどの部位のどんな肉を何グラム欲しがっているのか、店員さんに質問するような恰好になっているわけで、店員さんもちょっと困った顔をしていました。ここで、黙って答えを待っている店員さんもいるし、

「それじゃ分かんねーよ。何作るの?」

 なんてズケズケ聞く人もいます。いろいろです。

 でも、女性が迷う気持ちもよく分かります。肉屋でのびのび買い物をするというのは、けっこう難しいことです。

 まず、自分が今日作るレシピの分量と仕上がり、それから家族(食べるメンバー)の胃袋を正確に把握しておく必要があります。

 大人4人のすき焼きで、牛肉200gは少なすぎるし、20代の男性のお客様と、70代の親世代では食べる量が全然違います。


 豚しゃぶの薄い肉なら、大人ひとり150gが妥当なところ。身が薄いから、けっこう量が食べられてしまいます。

 自分のお気に入りのレシピカレーを作るなら、合いびき肉を200g。カレースプーンでひとくちを放り込んだとき、ちょうどいい具合に肉のつぶつぶが口内に広がるバランスを考えると、試行錯誤の結果200gがベストです。こういうのは経験でなんとなく積み上げていく生活の知恵みたいなものです。

 たとえ部位名はわからなくても、脂が少ないほうがいいのか、赤身がいいのかくらいは言えたほうがいいです。鶏肉だって、胸よりもものほうが肉質がしっかりしているから、どっちがこれから作ろうとしている料理に合うか考えます。


 得意料理や好きな料理を思い浮かべて、そのためにどんな肉が何g必要かを即答できるって、すごいことなんです。


 covid-19の自粛期間のおかげで、私の肉屋通いも堂に入ってきました。

 その日の並びをざっと見渡してから

「合い挽きは300、それから、豚の挽いたやつを150ください。脂の多いところ。鶏ももは皮なしで300でお願いします。あっちのささみは5本で」

 このくらいは、さらさらっと言えるようになりました。

 魚屋は、もうちょっと違った心持ちで行きます。

「煮付けにしたいんですが」

「塩焼きが食べたい気分でして…」

 とにかくあれがしたい、これが食べたいばかり言っています。

 魚にだって四季があるから、プロの目利きで選んでもらったほうが、いい買い物ができます。



<< 前へ    



最新記事

すべて表示

東風吹かば

私のエッセイ「木陰の贈り物」が中学受験の国語で取り上げられ、しかも私には解けない問題があったことをきかっけに、いろんなことを思い出しました。 正確には、解けないというよりは、なんと答えてよいか分からなかったのです。 そもそもエッセイは、自分でもうまく説明できない、ままならない思いだからこそ言葉にしていくものだと思います。書いている本人は、本が出たあとも、はたしてこの表現で言いたいことが伝わっている

編集長の採点簿

太田和彦さんといえば、私のような左党にとっては居酒屋文学の代表のような存在です。東京の街を遊びまわる際には、ご著書を参考にしてきました。 その太田さんがめちゃくちゃおもしろそうな翻訳本『食農倫理学の長い旅』を出されたというので、しかもそれが400ページを超える大作と知り、なるほど、このような形で食の道を極めていくキャリアもあるんだなあ、さすがだなあと思っていたのですが、本を少し読んですぐに分かりま

家自慢

今日は原稿を一本納品しました。ある出版社の創立125周年を記念して作られた本に掲載される原稿で、字数は2500字。興味があるテーマだったから、気負わずに書けたのはいい。それでも、途中でああ、どうしようと困った点がひとつありました。 今取り組んでいる山梨の家のリノベーションについて触れなくては書き進められない内容だったのですが、どこまで詳細に書くかということについて、考えてしまいました。 なんだか、

bottom of page