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  • KEI SUZUKI

11年目の140字ごはん

 おかげさまで、ツイッターアカウント『きょうの140字ごはん』は10周年を迎えました。いつも見てくれてありがとうございます。本を買ってくださったり、感想も書いていただいたりして、大きな励みになっています。


 料理やその周辺の写真は、書籍や連載になにかしら使えるかもしれないと思って撮り溜めてはあるのですが、なかなかツイートが乗らない今日このごろです。


 在宅勤務がふえて、料理がみんなのエンタメになっている様子を見て、じゃあ、私はどんなことを発信していこうかなと考えています。『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』で書いたような料理との向き合い方は、もしかしたら、もう不要かもしれない。だってみんなひまでしょう。SNSを見てると、ひまが溢れてますもん。停滞はしているかもしれないけれど、それすらも豊かさなのです。


 人気レストランのレシピを2時間かけて作って、おしゃべりしながらそれをライブ配信すうようなひとたちが、たくさん現れました。

 料理は頑張るものではなくなって、対話であり、生存確認であり、体や思考の延長としてより“自分事”になってくるでしょう。なんのために努力と工夫をするのか、本質的な問いを、レシピ本に頼らずに考えるひとも増えてくるかもしれません。そもそもレシピ本市場は飽和状態です。


 このコロナの緊急事態が発端となったわけではないのですが、私はここ3〜4か月でよく母と電話で話すようになりました。

 新しい連載をはじめたということが一番の理由で、自分が生まれた土地のこと、田んぼや畑のこと、家族や親戚のことなど、ぼんやり散っている点と点をつなげる確認作業を、母に協力してもらっているわけです。


 二十年前に飛び出した故郷ですから、知らないことや、忘れてしまっていることがあまりにも多くて、立ち尽くしてしまうこともあります。

 そのいっぽうで、しまっていた記憶や、自分の性格の核を作っているような出来事を再確認できたりして、それが文章を書く動機につながっているのも確かです。たとえるなら、家を建てるのに便利な釘や柱をたくさん拾えているような手応えがあります。

 

 優れた本を読むことはもちろん素晴らしいけれど、偉大な物語は自分の血のなかにこそ流れているのではないかと、畏れるような気持ちを、最近は抱いています。 

 

 いわゆるバリキャリと呼ばれる友達がいます。

 今まで料理ができなくてもまったく困らない人生だったのに、味噌汁一杯作れない己をこんなに情けなく感じたことはないと、自粛要請が出されてしばらくしてからLINEをくれました。

 私は料理の本も出しているし、こういう友達に対してあれこれアドバイスしてそうと思われるかもしれませんが、質問には答えるけれど、自分からは何も言いません。

 自分の食べたいものが見つかれば、それを作るだろう。検索でもなんでもして。

 そういうもんだと思います。当事者になってはじめて、料理って身につくものです。


 いま、暮らしの当事者になったというひとが、世界中にいます。

 子どもを学校に任せっきりだったひと。仕事に逃げていたひと。家族との対話を避けていたひと。移動を制限され家のなかに縛られたことで、暮らしに向き合わざるをえないひとびとが。

 暮らし方が、分からない。そう思っているひとが、たくさんいるはずです。

 

 だからこそ、家のなかの仕事である家事や料理が、どんどんおもしろい分野になってくると私は思います。


 私はもともと編集者だし、今は編集者に伴走してもらう著者という立場にもなったので、いまモヤモヤと考えていることをアウトプットできたらと思っていますし、できるとも思っています。


 もうひとつ。

 無関心なのにも関わらず、誰かに決めてもらいたがって、縛られたがっているひとがいかに多いかということも、今回の歴史的疫病の流行から分かりました。

 大事にされすぎて、お客様扱いされすぎてきたからかもしれません。


 これは料理にもいえることでしょう。

 レシピというのは本来とても不自由なものです。レシピの語源が「処方」であるように、誰かに通用するものが、別の誰かには効かなかったりもする。


 私なんかがSNSでよく出くわすのは、たとえば大根の煮物のレシピをアップした際に、「かぶじゃだめですか?」などと聞かれることです。

 正解でないものに、時間をかけてまで関わるのがいやなのかもしれません。

 だめなわけない。やってみたらいいと思います。かぶが頭に思い浮かんだのなら、もう本当は9割がた、かぶでいっても大丈夫なんです。レストランでお金をいただく料理ではないんだから、好きに作るのが一番だと思います。

 

 この、「好きに作る」という料理の醍醐味を、レシピ本自らが阻んでやしないだろうか。そんなことを、考えるのです。



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