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小さな読者

 大人になってから仲良くなったひとがいます。Yさんといって、私よりうんと若い女性です。

 もともとは、編集者時代に私が「編集S」というクレジットで書いていたコラム(とその雑誌)を愛読してくれていて、

「あれ? このSってひとはもしかして寿木けいと同一人物ではないか」

と早くに気がついた稀有なひとです。


 二年ほど前、ひょんなことから実際にお会いする機会に恵まれ、メッセージのやりとりをするようになって、そのうち私は出版社を辞め、その次の会社も辞め、3冊目の本を出し……と人生いろいろ慌ただしくやっているのだけれど、Yさんは変わらず私の読者でいてくれて、時々はっとするようなメッセージをくれます。


 先週発売になった新刊『閨と厨』も、Yさんがどう読んでくれるかとても楽しみでもあり、気がかりでもありました。なぜなら、Yさんとは私の本や連載についてたくさんメッセージを交わしてきたから、もしYさんが新刊を「今回はイマイチ」と感じたら、そのことに私自身が気付いてしまうことが分かっていたからです。


 ところで、私は編集者がゲラに貼ってくれたコメント付きのポストイットや手紙の類を大事に取っています。編集者は最初の読者だから。その読者がどう思ったかを、忘れないようにしたいから。だから、編集者には嘘をつかないでほしいと思っています。おだてられたり、ご機嫌取りをされてしまったら、その程度の原稿が世の中に出てしまう。それに、書いたものが商業的な及第点に達しているかどうかなんて、書いた本人には分からないのです。(分かるひともいるのでしょうか?)


 利害関係とは無縁の世界で知り合ったYさんというひとは、編集者とはまた違った、大切な読者です。Yさんがもともと私を知っていて、気に入られたいとか、気を引きたいとか、何かしらの計算や下心があって私の文章を読んでいるわけではないということが、私はすごく嬉しいんです。このような小さな出会いが、書く人間の気持ちを大きく照らすことがあります。


 そのYさんから『閨と厨』の感想をもらって、私は面白くてぶったまげてしまいました。

 海外で教育を受けたYさんは、一見日本語は流暢なのだけど、言葉は知っているのに漢字が書けなかったり、黙読はできるけど正しいアクセントがわからない単語がけっこうあるらしいんです。帰国子女あるあるですね。

 多感な時期に海外へ渡り、日本語が恋しくて恋しくて、貪るように随筆や小説(Yさんが生まれるうんと前の時代の、美しい日本語で書かれた名作が多い)を読んでいたというエピソードを聞いたとき、Yさんが大変な読書家である理由がわかりました。


 Yさんは『閨と厨』のなかで気になった箇所をノートに書き出して、何度も味わっているといいます。本には付箋もたっぷり貼っていて、こんなことをしながら本と向き合うのはかなり久しぶりだそうです。ノートのスクショを見せてくれたのだけど、作者としては「へえー、そこかー」と唸る箇所ばかりでした。こんなことするひとがいるんですね〜。

 なかでも面白いと思ったのは、

「小石を握りしめるような馬鹿正直さ」

 という表現がどういうことなのか、ずっと考えているというひと言でした。


 他人に手のひらをこじあけられたら「なんだ、ただの石っころじゃねえか」と言われるに決まっていても、簡単には捨てられないものがあります。持っていたってなんにもなりゃしない。でも、明け渡せない「なにか」。もしかしたら私は、ひとより「小石」が多いのかもしれません。だからときにすごく頑固だったり、一途だったりする。そんな自分の姿を引いて見てみたときに、ぽんと浮かんだ表現でした。

 柔らかい手のひら(有限)と、冷たく硬い石(時間の象徴)の対比も、しっくりきたのだ──というようなことをYさんに簡単に説明したら、「よく分かった」と言っていました。


 自分が書いた言葉が、思いもよらぬ場所で、誰かの心をなでたり、突き放したりしているようです。言葉が勝手に歩き出すことに対し、たいていの作者は説明する場をもちません。


 そういえば、朝吹真理子さんは『抽斗のなかの海』で、エッセイにご自分で副音声(応答)を書いていらっしゃいました。「時間そのもの」を描写して物語を立ち上がらせることができる朝吹さんならではだなあと、思ったのでした。



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