17歳の頃には書きたいように書いていた記憶があります。
通っていた県立高校にYという先生が赴任していらした。担当は国語。先生はショーケンに似ていました。
ある日、授業のあとに職員室に来るように言われ、行ってみると、私が書いた読書感想文が先生のデスクに置かれているのが見えました。題材は三島由紀夫『金閣寺』。
〈本当に自分で書いたのか?〉
〈17歳の書くものではない〉
原稿用紙の隅に赤ペン書きのメモがあって、私はなぜ呼ばれたかを知りました。
後日、進路相談で母が高校に来たとき、Y先生はお嬢さんを東京の大学に行かせて作家にしなさい、学費ならアルバイトでもなんでもさせて稼がせなさいと言ったそうです。
高校生の頃、私は母とふたりで暮らしていました。日本海側特有の重いドカ雪が降る閉鎖的な土地で、肩を寄せ合って暮らしていた母娘にとって、Y先生の言葉はとても大きなものでした。先生は、うちの経済状況も当然ご存知だったはずです。先生のように、親と子どもの人生にまで踏み込んでくる教師の姿というは、今も教育の現場にあるのでしょうか。作家うんぬんはさておき、当時の私は東京の大学に行きたくて仕方なかったから、先生と私:母=2:1の多数決で上京に追い風が吹いたのは間違いありませんでした。
そういえば呼び出されたあの日、先生とは『金閣寺』ではなく『枕草子』の話をしました。
春はあけぼの。
この有名な書き出しでもって、好きなものをまっすぐに謳いあげた清少納言というひとはすごいなぁと私は打たれて、そのことを先生に話してみました。当時活躍していた曙関と春場所をかけて、先生が駄洒落を言い、私はすでにあのとき、自分が笑えば男のひとは喜ぶだろうという計算をもっていたような気がします。
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