後輩から耳の痛い話をされたことがあります。
「私の企画が、先輩の企画に比べて劣っているようには思えない」
それなのに編集長はいつもけいさんの企画を通して、私のぶんは採用しない──それが後輩の言い分でした。
後輩の言い分はもっともだと、私も思いました。私だって、いつだって自分の企画に自信があったわけではなかったから。 企画に絶対の優劣はありません。タイミングや予算などの条件が変われば、よい企画はNGな企画に、いまひとつな企画は抜群にいいアイディアになったりして、形勢は簡単に入れ替わります。
このことを友人に話せば、
「先輩にそんなこと言ってる時点で、身の程知らず」
ぴしゃりと斬り捨てられました。でも私は、それだけではないような気がしました。
私にあったのは、「私っぽい」という手応えだけです。企画書を書いている時点で、タイトルと、一緒に組みたいスタッフは固まっていました。ぼんやりとではあるけれど、着地点が見えていた。それを企画書以上の出来まで引き上げてくれたのは、いつもフリーランスのスタッフたちでした。
ひとは日々慣れ親しんだことしか企画書に落としこめません。本人の志向と企画の方向性が合致した時に、決裁者(雑誌の場合は編集長)はより心を動かされて納得するものだと思います。腑に落ちるといってもいいかもしれません。だから、いつでも得意なフィールドにひきつけて企画を考えることです。大切なのは「その人っぽい」ことだと思います。
その後輩には「自分はこれで行く」という頑固さのようなものが足りなかったのかもしれません。話をしていても、自分が主語にならないことが多くて、どこかの誰かさんの話ばかりしていたような気がします。
手袋もせず、かじかんだ手をさすりながら、表参道の地下鉄へと向かう階段を私と並んで歩きながら詰め寄ってきたあの日。ちょっと寄って温かいものでも飲む?と誘っていれば、何か言ってあげられたかもしれません。後輩の声に耳を傾けなかった私にもまた、驕りがあったように思います。
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