top of page

ずるい企画

 後輩から耳の痛い話をされたことがあります。

「私の企画が、先輩の企画に比べて劣っているようには思えない」

 それなのに編集長はいつもけいさんの企画を通して、私のぶんは採用しない──それが後輩の言い分でした。

 後輩の言い分はもっともだと、私も思いました。私だって、いつだって自分の企画に自信があったわけではなかったから。  企画に絶対の優劣はありません。タイミングや予算などの条件が変われば、よい企画はNGな企画に、いまひとつな企画は抜群にいいアイディアになったりして、形勢は簡単に入れ替わります。

 このことを友人に話せば、

「先輩にそんなこと言ってる時点で、身の程知らず」

 ぴしゃりと斬り捨てられました。でも私は、それだけではないような気がしました。


 私にあったのは、「私っぽい」という手応えだけです。企画書を書いている時点で、タイトルと、一緒に組みたいスタッフは固まっていました。ぼんやりとではあるけれど、着地点が見えていた。それを企画書以上の出来まで引き上げてくれたのは、いつもフリーランスのスタッフたちでした。

 ひとは日々慣れ親しんだことしか企画書に落としこめません。本人の志向と企画の方向性が合致した時に、決裁者(雑誌の場合は編集長)はより心を動かされて納得するものだと思います。腑に落ちるといってもいいかもしれません。だから、いつでも得意なフィールドにひきつけて企画を考えることです。大切なのは「その人っぽい」ことだと思います。


 その後輩には「自分はこれで行く」という頑固さのようなものが足りなかったのかもしれません。話をしていても、自分が主語にならないことが多くて、どこかの誰かさんの話ばかりしていたような気がします。

 手袋もせず、かじかんだ手をさすりながら、表参道の地下鉄へと向かう階段を私と並んで歩きながら詰め寄ってきたあの日。ちょっと寄って温かいものでも飲む?と誘っていれば、何か言ってあげられたかもしれません。後輩の声に耳を傾けなかった私にもまた、驕りがあったように思います。



<< 前へ     



最新記事

すべて表示

東風吹かば

私のエッセイ「木陰の贈り物」が中学受験の国語で取り上げられ、しかも私には解けない問題があったことをきかっけに、いろんなことを思い出しました。 正確には、解けないというよりは、なんと答えてよいか分からなかったのです。 そもそもエッセイは、自分でもうまく説明できない、ままならない思いだからこそ言葉にしていくものだと思います。書いている本人は、本が出たあとも、はたしてこの表現で言いたいことが伝わっている

編集長の採点簿

太田和彦さんといえば、私のような左党にとっては居酒屋文学の代表のような存在です。東京の街を遊びまわる際には、ご著書を参考にしてきました。 その太田さんがめちゃくちゃおもしろそうな翻訳本『食農倫理学の長い旅』を出されたというので、しかもそれが400ページを超える大作と知り、なるほど、このような形で食の道を極めていくキャリアもあるんだなあ、さすがだなあと思っていたのですが、本を少し読んですぐに分かりま

家自慢

今日は原稿を一本納品しました。ある出版社の創立125周年を記念して作られた本に掲載される原稿で、字数は2500字。興味があるテーマだったから、気負わずに書けたのはいい。それでも、途中でああ、どうしようと困った点がひとつありました。 今取り組んでいる山梨の家のリノベーションについて触れなくては書き進められない内容だったのですが、どこまで詳細に書くかということについて、考えてしまいました。 なんだか、

bottom of page