回るかかと

  人が忙しく立ち働く姿を見るのが好きだ。

   私にとってのそれは、正月に母と五人姉妹で台所に立つご馳走の支度だった。嫁ぎ先から戻ってくる姉たちとその家族、まだ独身だった末子の私が年に一度集う席に用意するのは、富山湾の海の幸や寿司、煮物、揚げ物。主役はすき焼き。この献立はずっと変わらなかった。

   買い出しも盛大で、スーパーのかごにパック詰めの牛肉があるだけ積み上げられる。生卵はひとり三個の計算だったから、卵だけでかごがひとつ必要だった。普段はどの顔もどこか退屈そうに見えた田舎のスーパーも、この日ばかりは人の気忙しさまで写し取って、それぞれの家庭の色が透けて見えるように浮き立っていた。

   スーパーから帰宅すると、待ち構えていた姉が袋を勝手口で受け取り、台所に運んで荷を解く。あるものは冷たい水で洗われ、あるものは刻まれ等分にされ、大皿に手早く並べられていく。まな板の前が母の定位置だ。左手で焼豆腐をうけとめ、包丁でタンっと切り分けていくまわりを、エプロン姿の五人の娘たちが忙しく立ち働いている。むくむくと着込んだセーターの袖をまくりあげ、そっくりな形の手首をのぞかせて。

   ハレの日の皿を食器棚の高いところから出す者、男衆の煎茶をさし替えに行く者、煮物を大鉢に盛りつける者。思い思いの靴下を履いたかかとが、台所の真ん中に置かれた灯油ストーブを器用に避け、くるくると部屋じゅうを回っていた。ぶつかり合うこともなければ、同じ作業を奪い合うこともなく、女たちの手が、脚が、正月の空気をかき混ぜ、古い床がしなっていた。働く、と聞いて私が思い浮かべる光景のひとつだ。

   すき焼きの材料が揃ったところで、私は槌目入りの大鍋と卓上コンロを持って客間へ急ぐ。鏡餅にのせられた昆布とみかんの清潔な香りが、寒さと一緒になって鼻をついてくる。

   上座の真ん中にコンロと鍋をセットして、火力調整つまみの向きを確認する。そのうち灯油ストーブが運びこまれ、こたつのスイッチが入り、部屋が予熱にかけられる。グラス、箸、調味料……宴に必要な一切が部屋に集まってくる。

   男衆はというと、居間で子供たちと一緒にあぐらをかいてテレビを見ている。女系家族の輪から締め出される代わりに、「働かざる者、大いに食うべし」もまた彼らに与えられた祝いの日の役割だ。

   暖まりはじめたこたつに正座の膝を少しだけ突っ込んで、私は鍋に牛脂を熱しはじめる。熱い鍋肌に肉を広げて割り下を注ぐ。醤油がジュッと沸いたら、牛肉をひっくり返す。立ちのぼった肉の匂いに誘われて、客間に人が集まりはじめる。多いときは姉たちとその家族で十数人を軽く越えていた。

   乾杯もそこそこに、あちこちからいっせいに差し出されるとんすい目がけて、私は手際よく菜箸で肉をぽんぽん放りこんでいく。とんすいにはもちろん溶き卵。私がこの役割を照れずにできるようになったのは、東京で働き始めて少し経った二十三、四の頃だったように思う。

   白滝、焼豆腐、春菊が加わり、牛肉が松から竹、梅へと変わりあらゆる具がいっしょくたに煮込まれる頃には、子供はご馳走に飽きて遊びはじめ、大人だけの静かな時間が訪れる。

   姉妹は誰ともなく鍋の中をさらってきれいにし、いらなくなった皿を下げたり、冷蔵庫から追加の肉を持ってきたりする。仕切り直しのために、松を数パック残しておくグッジョブな者がいるのだ。ぬくい部屋でお酒も回ってきた折に、横着して腰をあげ渋る娘がいないようにした母の躾というものを、この歳になると得難く思う。

   こうして過ごした実家が七年前に火事で全焼した。三番目の姉が病死してすぐのことだった。古いが洒落た家で、地下に広い蔵のようなスペースを取ってあったから、家はなにもかもすっかり燃えてしまってから、ストンと陥没してしまった。一瞬で目の前から消えたと、後日家族から聞いた。

   あの槌目入りの大鍋だけは、煤だらけになりながらどこかに転がっているのではないかと、今でも思うことがある。家も木立もなくした更地から、爪先にこつんとぶつかって顔を出してきそうな気がする 。

   物心ついたときからずっとそばにあった。高価なものだったかどうかも知らない。あの鍋のことだけではなく、家族を頻繁に見舞って家や土地の始末について気遣うこともしないで、私は東京で家庭のようなものを築くのに必死だった。そのくせ鍋物の季節になると、どこかにあの鍋に似た姿を追ってしまう。見つからないことを期待して──と書くと矛盾しているけれど、見つけないために探すのだ。都会で目が合った途端、もう二度とは叶わない団欒の余韻がパチンと弾け、鍋が西瓜にでも化けてしまうような気がするのだ。



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