top of page

夜明けのあと


 かれこれ十年近く、料理のことを「きょうの140字ごはん」というツイッターに書いてきました。それに付随する家の中のことや仕事のことをブログに書いたり、結婚前はZINEのようなものを作っていた時期もありました。一昨年春に本『わたしのごちそう365 レシピとよぶほどのものでもない』を出してからは、いくらか印税や原稿料を手にする機会も得ました。


 21世紀最初の年に出版社に入って編集職に就きました。昨年夏に人生で初めて転職をし、現在は料理を主戦場とする会社でいろんなことをしています。転職についてはまた改めて書こうと思います。

 子供を生み、その子供を人に預けて昼間は働いたりしてはいるけれど、ふとしたときに、壮大なままごとをしているような気がすることがあります。環七をママチャリで走っている夕方なんかに、そう思います。鶏が先か卵が先かといえば、ちゃんと料理を作ることでちゃんと生きてきた。料理にしがみついているのは今も変わりません。


 仕事を終え、子供たちを迎えに行きます。手を洗って、慌ただしく米をといで火をつけると、やっと自分が、暮らしが、温まってきたようで人心地つきます。

 火や水や、農作物が、浮わついた自分を暮らしにつなぎ止めています。だからこそ台所には魔物が住んでいて、鍛錬すれば魔法使いにだってなれるし、飼い慣らせなければ人生の明暗を分けると言っても大げさではない。本当にそう思います。

 一日の疲れを労うはずの台所が、夫婦の睨み合いの場なることがあります。湯気越しに、何度夫と視線で殺し合いをしてきたでしょう。今度ばかりは本当に死人が出るかもしれないと思ったことも一度や二度ではありません。

 火がある。刃物がある。こちらが逃げ道をふさげば、あちらはするりとかわす。どこ行くんだと首根っこを捕まえようとすると、このきんぴらうまいねぇうちの奥さんは天才だとか何とか言いながら二本目のプルタブを起こしてやがる。

 不発弾を抱えたまま私は悶々とグラスを洗い、布巾を絞る。そのうちキッチンは綺麗に片付き、拭きあげられ、こんな小さな達成感だけで私はなんだか嬉しくなってぐっすり眠り、翌朝は鼻歌で味噌を溶いていたりするのだから、つくづく根が単純にできています。


 こんな風な暮らしのいろんなことを書いた本を読んでくださった北日本新聞文化部のSさんから、コラムを書きませんかと声をかけてもらったのは、平成二十九年夏のことでした。

 お話をいただいたときは本当にうれしくて、夫婦の家事分担だとかワーキングマザーの賢い時短術だとか、そういうものではない「いえ」をいつか書いてみたいと思っていた気持ちが弾みました。

 家の中は名前のつけられない無数の仕事で溢れています。なにかひとつを端折れば、暮らしはざらついていく。だからこそ家の中のことは本気で取り組む価値がある。そんな気持ちを込めて、題は『いえしごとの夜明け』としました。漢字の家は上から蓋をされている感じがして、ひらがなに開いています。

 小さな気付きや疑問を拾っては研磨して、こんなのどうでしょうかとSさんに送ってきました。言語化したその先に、目が啓かれるような暁と呼べる瞬間を見たかったのは私自身です。

 ありがたいことに、当初の予定を延長して書く機会にも恵まれました。平成最後の冬、連載は終わり、ブログを書くことにしました。ということで、これからどうぞよろしくお願いします。







最新記事

すべて表示

東風吹かば

私のエッセイ「木陰の贈り物」が中学受験の国語で取り上げられ、しかも私には解けない問題があったことをきかっけに、いろんなことを思い出しました。 正確には、解けないというよりは、なんと答えてよいか分からなかったのです。 そもそもエッセイは、自分でもうまく説明できない、ままならない思いだからこそ言葉にしていくものだと思います。書いている本人は、本が出たあとも、はたしてこの表現で言いたいことが伝わっている

編集長の採点簿

太田和彦さんといえば、私のような左党にとっては居酒屋文学の代表のような存在です。東京の街を遊びまわる際には、ご著書を参考にしてきました。 その太田さんがめちゃくちゃおもしろそうな翻訳本『食農倫理学の長い旅』を出されたというので、しかもそれが400ページを超える大作と知り、なるほど、このような形で食の道を極めていくキャリアもあるんだなあ、さすがだなあと思っていたのですが、本を少し読んですぐに分かりま

家自慢

今日は原稿を一本納品しました。ある出版社の創立125周年を記念して作られた本に掲載される原稿で、字数は2500字。興味があるテーマだったから、気負わずに書けたのはいい。それでも、途中でああ、どうしようと困った点がひとつありました。 今取り組んでいる山梨の家のリノベーションについて触れなくては書き進められない内容だったのですが、どこまで詳細に書くかということについて、考えてしまいました。 なんだか、

bottom of page