真似できない宿


 旅が好きです。忘れられない人との出会いと、忘れられない宿が、いくつもあります。

 いつか自分でも宿を経営してみたいという憧れを初めて抱いたのは、二十代のときでした。しかし、目の前のことに忙しくするうちに、憧れは薄れていきました。

 子どもが生まれてからはさらに遠のき、障がいのある子を育てることになってからは、決して叶わない夢として、封印してしまいました。

 それが、夫の転職という「巻き込まれ」事態に遭遇してから、一変。

 夫が見つけてきた古民家の内見に行った際に、この家なら、宿として人をもてなせるなにかがあるとピンときました。それに、床面積が広く、住居だけにしておくのはもったいないという考えもありました。自宅の前には、農地もあります。なにより、家が職場になるので、いわゆる「両立」も叶いやすくなります。


 自分ならどんな宿にするか。

 これまで旅してきた宿の中から、素敵だった点、心が動いた点を、最近よく思い出しています。


 パリでは、日本人ファミリーのお宅に泊めてもらいました。ご夫婦とふたりのお子さんが暮らす家で、パリコレでランウェイを歩く日本人のモデルたちも、常宿にしているお宅でした。紹介制の民泊でしたから、私も、出版社の先輩に紹介してもらって、マダムにメールを送って宿泊費などの相談をした記憶があります。

 当時十代前半だったお兄ちゃん(ご両親は日本人だが日本に住んだことはない)が、とにかくレディファーストで、家のドアは全部あけてくれるし、朝は炊飯器でごはんも炊いてくれるような子でした。夜遊びをして22時頃に帰っても、「マドモアゼル、サムイネ?」とドアを開けてくれました。

 対して、妹ちゃん(9歳とか10歳)は、私が「今日はシルクドイヴィエ(有名なサーカスです)に行ってきたよ」と報告すれば、発音がイケてないといって、正しく発音できるまで直してきました。髪をかきあげる風情とか、脚を組みかえて、唇を尖らせて私に説教する様子なんか、もう、いっぱしの女でした。

 お母さん(マダム)の言葉を、今でもよく覚えています。

「パリでは街の大人たちも一緒になって子どもを育ててくれる。もし、地下鉄でおかしな振る舞いをしていたら、ちゃんと注意してくれるの」

 こんな話は、ホテルでは決してできません。

 冷蔵庫の一段はゲストのための棚で、ヨーグルトやお水など、「なんでもご自由に」。追加で料金を取られたりはしませんでした。

 滞在最後の日の朝、朝食用にマダムがクロワッサンを買ってきてくれました。「本当はもっと早く食べてもらいたかったのだけど、お店が急に休むことになって」。営業再開したお店まで朝いち(5時くらいに出かけて行ったように思います)で出かけて、私のために買ってきてくれたのでした。しかもその日のパリは、大雪。このクロワッサンがあれば幸せ。マダムはそう言いました。


 小豆島でも、民宿に泊まりました。

 ゲスト用のキッチンが設置されている宿で、道の駅やスーパーで買った食材を使って、毎晩料理をして過ごしました。

 私もじゅうぶんくつろいでいましたが、一番リラックスしていたのは、宿のご夫婦だったと思います。

 夕方4時にはもう、テラスでビールを飲みながら、いずれ瀬戸内海に向かって真っ逆さまに落ちていく巨大な夕日をふたり並んで見ていました。

 夜9時を過ぎると、「DON’T DISTURB」の立て看板が廊下に置かれ、宿主としての一切のサービスは終了。ゲストであるわたしたちも静かに過ごします。ホスト自身の生活も優先されている。それが、すごくいいと思いました。

 翌朝目を覚ますと、私よりうんと早く起きたであろうご夫婦が、テラスに並んで、大きなマグカップでコーヒーを飲んでいました。そして、昨日の続きのように、話し込んでいました。


 佐渡ヶ島で泊まった宿は、当時(20年前)の『dancyu』の、たしか、「全国魚がうまい宿グランプリ」のような特集を見て、ひとりで行きました。

 お仏壇の前に置かれたテーブルいっぱいに並べられた魚料理のおいしさは、忘れられません。

 ある日、夜中にふと目をさますと、船出の刻でした。

 港からポポポーと船が出ていき、その音をぼんやり聞きながら、私は二度寝をして、再び目をさますと、ポポポーと船が戻ってくるところでした。まだ朝早かった。小さな子どもたちがたくさん、船に駆け寄っていました。登校途中だったのかな。子どもがたくさん生まれるって、それだけで素晴らしいことだなあと、思ったのでした。


 いまはなき、熱海のヴィラ・デル・ソルも素晴らしい宿でした。民宿のカテゴリーに入る宿ではないと思います。でも、マダム古谷青游さんの大ファンの私としては、彼女の美意識が散りばめられた「私邸」のような世界に圧倒されました。

 いちど、古谷さんとお話する機会があったのですが、緊張して、舞いあがって、なにも言えませんでした。約二十年前のことです。


 そして、もっとも思い出深い宿のひとつが、岩手タイマグラの「フィールドノート」です。そのときの思い出はこちらに書いています。ぜひ読んでみてください。


 ここに挙げたどの宿も、いま思い出すのは、インテリアや料理の細かいことではなく、そこで暮らす宿主の顔です。交わした言葉です。笑ったときにできる目尻のシワや話し方のクセまで、よく覚えています。

 つまり、真似ができない宿ということです。


 こんな風に書いておいてなんですが、東京のパークハイアットも大好きです。

 民宿とパークハイアットの両方にある「なにか」。それがなんなのか、まだ言語化できませんが、私なりの宿の準備をはじめます。


 お金は事前に振り込んでもらったら、あとは一切払わなくて良いスタイルが良いと思います。昨年末京都のLURRA°に行ったときも、事前に知らされていた金額「ぽっきり」でした。青山のrestaurant juliaもそうですね。事前に値段が分かっていること、そして追加で払わなくてもいいこと、というのは、お財布を気にしなくて済むのですから、ストレスを減らしてくれます。

 そして、火。火を囲むことは根源的な喜びだと感じます。自宅の前に、幸いにも農地を持っていますから、焚き火をして、くつろいでもらいたいとも思っています。

 あとは、古い家のリノベーションをしながら、少しずつ、考えながら形にしていきます。



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