- KEI SUZUKI
YESの基準
6月に入ってから、仕事の依頼が一気に増えた。
メールの受信ボックスを見ていると、ピロン、ピロロン、と連続してメールが入ってきて、夫にも、
「私の身に何かが起きている。これを見よ」
とスマホを印籠のように見せたほどだった。
私の身にかぎったことじゃなくて、コロナの自粛が終わり、みなが対外的な仕事を一気に始めたのだ。静から動へ。待てから良しへ。
そうなると、どの仕事なら受けられて、どの仕事が受けられないかを考えなくてはならない。
スケジュールが合わないものはそもそも受けられない。
ギャラがゼロのものは、納得できる理由がないかぎり、お断りしたい。
自分にはできない内容──インテリアのスーパー整理術みたいな不得意ジャンル──も難しい。
でも以上の要素だけでは、断る理由としては足りない。断る基準というか、柱が、自分の中にない。ということが6月に私が分かったこと。
そんなとき、ある方のインタビューを読んではっとした。
Sさんと呼ぶ。
Sさんは、長年クリエイティブの世界で活躍しているひとで、「仕事を受ける・受けないの基準ってなんですか?」という若手からの質問にこう答えていた。
私はこうしたいんですが、どうですかね?──こう答えられるかどうかだと。
あれはいい出会いだったと何年もあとになって思い返せる仕事は、すべてこの「私はこうしたい」が入り込む余地があるものだったという。
ただ、長年のキャリアの中で「いま思い返すとそうだったなあ」というものであり、はじめからSさんが意識して基準にしていたものではない。失敗だった仕事や思い出したくもない案件も、山のようにあるはずだ。そうしたすべてのことが、泥水だって飲んできた歴史が、現在のSさんのポジションを作っているのだ。
だから、調子にのって「よし、私もこのやり方で仕事をジャッジしよう!」と思うのはお門違い。
でも、確実に一筋の光になっている。
それ以来、仕事の依頼の連絡をいただくたびに、
「私はこうしたいんですが、どうでしょうか?」
というセリフを脳内にBGMのように流して企画書を読んでいる。
こうすると、やるべきかやらざるべきかうんうん悩んでいた時間が大幅に短くなる。
もちろん、いったん仕事を受けて走り始めてから、スタッフの様子を見ながら「こんなふうにしたい」と徐々に声をあげていく場合もある。そのあたりも、事前に編集者や主催者に質問して、どのくらい余白があるのかを探る。
今年のあたまに決めたことがある。
仕事が原因で家で不機嫌になることだけはしたくない、ということ。
それはなんのためかというと、自分にしかできない役割=親であることをちゃんと守るため。ざっくりいうと「家庭第一」ということになる。
子どもにとって、家は一番安全で楽しくて落ち着ける場所でなくてはならない。だから、私がイライラしたり、ガタガタに崩れていてはだめなのだ。(せっかく手に入れた「仕事を受けない」権利が台無しではないか)
そのためにも、納得できるYESの柱を見つけたい。Sさんのアドバイスを松明に掲げつつも、こういう答えは自分で見つけてこそなんだから。