おいしさを受け取る

 月に1,2日だけ、自由時間と呼ぶ夜がある。仕事が終わったあと、気になる新店や再び訪れたい店など、時間が許す限りまわる。

 好きなシェフのもとへ顔を出すのはもちろん、その弟子だった人が独立開業した店にも行く。ひとりの才能あるシェフの教えがどんな風に継承され、アレンジされているのか知りたいと思うからだ。今はSNSのおかげで、料理に携わる人がどこで修業したかを簡単に知ることができる。要は料理人の追っかけだ。

 私が喜びを感じるのはSNSにレストランの写真をアップしたり店に点数を付けることではなく、なぜプロがその食材を選んでレシピを考案しそのサービスで提供しているのかを、理解して受け取る体験そのものだ。面白いとか嬉しいと思ったことは、お店の人に伝えるようにしている。

 先日訪れた港区のイタリアンでのこと。客とシェフが並んでその晩のメニューを熱心に相談していた。作る側も食べる側も、楽しみで仕方がないという顔をして、店全体が和やかな雰囲気に包まれていた。都心の一等地に出店して20年以上が経つ名店だが、素晴らしいのは料理よりもまず人なのだ。店と客との信頼関係も、ある程度の月日をかけて築かれたものだろう。

 品川区にも好きな店がある。Google Mapにも引っかからないようなカウンターだけの小さな店。何を食べても美味しいのに、予約をしなくても入れるのが不思議だ。なんとなくレシピや味が想像つくような、よくあるメニュー(例えばハムカツとか春雨サラダとか)ほど美味しい。ちょっとだけ意外なアレンジがしてある。美味しいですと言うと、「でしょう、美味しいでしょう」と静かに返事がくる。調理も接客もひとりで担当されている店だけど、オープンキッチンがいつもきれいに片付いていて魔法かと思う。

 出版社で働いていた頃、上司が何度も口にしていた教訓がある。「あるジャンルを潰すのはマニアである」。料理好きが料理を潰す。美食マニアがレストランを潰す。例えばコースで数万円、入店時間を客に遵守させ、数年先まで予約は取れない。そんなレストランを否定はしないが、長く愛されるのだろうか。高級食材と高級食材を掛け合わせて単価を釣り上げた、富裕層の道楽のための料理も挙げればきりがない。

 私とプロとではまるで土俵が違うけれど、料理を作ることの楽しさも大変さも知っているからこそ、素晴らしい料理を作る人に会いたいと思う。料理で得たエネルギーを、また別のよき料理人を訪れて還元する。

「料理」をファッションに、フィギュアスケートに、落語に、旅行に…好きなものに置き換えてみれば、誰の胸にだって静かな炎があるだろう。それは間違いなく、生きることの彩りであるはずだ。



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